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(天文十八年・1549)菊月七日
烏丸光康書状 刊本318号
五年前に勅使として矢部に下向した烏丸光康が惟豊に宛てた書状。自分が惟豊の二位昇叙のために奔走したので勅許が得られたこと、惟豊が京都に雑掌(使者)を派遣し、自分に斡旋料として銭千疋<せんびき>(百貫文)を進上したことへの謝辞などが記されている。さらに光康は、口宣案と女房奉書が発給されたからには、遅滞なく「御礼」を申し上げる必要がある、と念を押している。これは上卿の広橋兼秀や御局女房中への礼銭をさすと考えられる。昇叙には禁裏修理料のほかにも、朝廷内部で尽力してくれる人々への贈与が不可欠であり、惟豊にとっては重い負担となっていたことが窺われる。(稲葉)