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文明十一年(1479)十二月十七日
阿蘇社領宮地居取田検見馬上帳<いとりでんけみばじょうちょう> 刊本284号 (1/13)
阿蘇社権大宮司の播磨能次が作成した検見馬上帳。馬上帳とは、領主が年貢の徴収基準を定めるために田畠の所在、面積、斗代、給人・作人・耕作状況などを調査したもので、ここでは、宮地(阿蘇社の神域で直轄地)の居取田(木村里分)と阿蘇谷諸郷の御米田、すなわち阿蘇社大宮司への年貢米を出す田が対象とされている。本帳の端書に、御米田が阿蘇山上御嶽免<おんたけめん>や阿蘇各宮の免田<めんでん>として差し引かれ、減少した現状が述べられている。こうした危機意識のもと、御米田の地筆ごとの把握が求められ馬上帳が作成されたと考えられる。実際、本帳と応永十一年(1404)十一月三日、「阿蘇社領宮地居取田并郷々御米田算用状」(刊本221号)とで比較可能な郷村の御米田数の変化をみると、計百五十五町余から百十八町余へと減少している。また、宮地居取田分は、建徳三年(1372)の「阿蘇社領宮地居取田検見馬上帳」(刊本189号)と比較すると、神官給主の給地の増大傾向が確認できる。(春田)