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「文明五年」(1473)九月廿七日
相良為続書状 刊本282号
文明五年、守護大名菊池重朝が依頼した阿蘇社および阿蘇山本堂造営の棟別銭進上<しんじょう>の書状である。相良氏は、鎌倉時代以来球磨郡を本拠としていたが、長続は菊池為邦から芦北郡を安堵され、その子為続も後には八代や肥後中央へ進出の動きを見せた肥後南部の有力領主である。彼は領内法度を定め、また「新撰菟玖波集」に詠句を撰ばれるなど連歌でも知られている。
重朝からの依頼には早々承諾の返事を送っていることが知られるが、棟別銭の進上が遅れた領内の混乱の委細は老者の隈部氏に申し伝えたと記している。(阿蘇品)