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(建武五年・1338)九月五日
僧澄遍<そうちょうへん>書状 刊本208号
この文書は、阿蘇文書の中でも重視されて来た元弘三年十月二日付けの「後醍醐天皇綸旨」二通(現阿蘇神社文書)の数奇な運命を、「建武五年六月十八日 牧秀広起請文写」とともに証明するもの。無年号であるが、建武五年と推定される。元弘の変の軍功恩賞としてのこれら綸旨は、阿蘇大宮司宿願の権利であり、大宮司惟直はこれらを身につけて多々良浜<たたらはま>合戦にも出陣したが、敗走して肥前天山麓で自殺した。「牧秀広起請文写」には、文書は地元の領主が入手したが、同じ地元の領主牧秀広の夢枕に阿蘇大明神がくり返し現れて返却を迫ったので、彼の仲介で阿蘇に送られたと記されている。それだけでは俄かに信じられないが、本文書により綸旨が阿蘇に戻ったことが確かめられる。ただ、綸旨はこの時尊氏の立てた北朝方大宮司である一族の坂梨孫熊丸が入手したのであり、宗家の大宮司惟時(惟直の父)がこれを取戻すには、更に紆余曲折があったことを、本文書の伝存そのものが物語る。(阿蘇品)