HOME > 各巻一覧 > 第11巻 > 152 第11巻 - 14 将軍家(足利義満)御教書 刊本201号

文書詳細

利用上の注意

それぞれの画像は、学術研究活動など非営利目的で個人的に利用することは自由ですが、転載・再配布などをされる場合は事前に許可を得る必要があります。詳細は取扱要領をお読みください。

第11巻
152

第11巻 - 14 将軍家(足利義満)御教書 刊本201号

第11巻 - 14 将軍家(足利義満)御教書 刊本201号
152 第11巻 - 14 将軍家(足利義満)御教書 刊本201号
152

至徳二年(1385)八月五日
将軍家(足利義満)御教書 刊本201号

「阿蘇家文書写 第7」に収録されている今川了俊書状の数々には、十四世紀後期に探題として九州平定をめざした了俊にとって、益城郡以南の諸領主を誘引・攻撃するために、阿蘇惟村がなくてはならない存在であったことが示されている。この足利義満御教書は、肥後南部の諸領主のうち、武家方として忠節した者、宮方領主のうちでも交渉次第では武家方に寝返る意思のある者については、ともに、幕府・了俊としては惟村からの報告に任せて処遇すべき旨を伝えている。至徳二年(1385)は、了俊による肥後南郡総攻撃の五年ほど前にあたるが、この時期における幕府・了俊の肥後計略が、惟村に強く依存して行われていたことを示す文書である。差出は幕府管領の斯波義将。(稲葉)

各巻一覧(第一巻~第三十四巻)

  • 阿蘇家文書
  • 第1巻
  • 第2巻
  • 第3巻
  • 第4巻
  • 第5巻
  • 第6巻
  • 第7巻
  • 第8巻
  • 第9巻
  • 第10巻
  • 第11巻
  • 第12巻
  • 第13巻
  • 第14巻
  • 第15巻
  • 第16巻
  • 第17巻
  • 第18巻
  • 第19巻
  • 第20巻
  • 第21巻
  • 第22巻
  • 第23巻
  • 第24巻
  • 第25巻
  • 第26巻
  • 第27巻
  • 第28巻
  • 第29巻
  • 第30巻
  • 第31巻
  • 第32巻
  • 第33巻
  • 第34巻