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文書詳細

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第10巻
129
130

第10巻 - 6 大友氏時書状 刊本168号 第10巻 - 7 大友氏時書状 刊本169号

129 第10巻 - 6 大友氏時書状 刊本168号  / 130 第10巻 - 7 大友氏時書状 刊本169号
129 第10巻 - 6 大友氏時書状 刊本168号
130 第10巻 - 7 大友氏時書状 刊本169号
129

(康安二年<貞治元・1362>)二月十五日
大友氏時書状 刊本168号

本状をふくめ以下四通は、いずれも大友氏時が阿蘇惟村に対して出した書状。筑後・肥後の凶徒(南朝勢力)掃討のために出陣するので急いで来陣してほしいこと、以前からの別紙下文はかならず京都へ取り次ぐことを神仏にかけて約束することを誓っている。本文書は氏時自筆書状と考えられる。肥後経営は惟村を積極的に支えることで推進したいという氏時の意向が反映されていた。同日に四通もの書状を発することで、その熱意を示そうとしたのであろう。(柳田)

130

康安二年(貞治元・1362)二月十五日
大友氏時書状 刊本169号

氏時が、自らが任じられた肥後国守護職について、幕府の許可を得てこれを惟村に譲与するので軍忠に励むように述べた書状。これを受けて、十月十七日、将軍足利義詮から補任状がだされた(刊本172号)。122の解説で述べたように、この前年に惟村の父惟澄が守護職に補任されたが、依然として南朝の立場を堅持したので剥奪された後の出来事であった。惟村が実際に守護としての権限を行使したどうかは発給文書が残っていないのでわからない。こうした氏時による本来公的な守護職の地位を私的な推挙で譲与する一連の行為は、内乱期肥後国での守護権そのものの権威の弱さを露呈している。(柳田)

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