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貞和四年(1348)七月廿五日
足利直義雑掌奉書<ざっしょうほうしょ> 刊本121号
92は、足利直義が大宮司阿蘇惟時に対して天下静謐<せいひつ>の祈祷<きとう>を要請した御教書。93は、これに応えて惟時が天下静謐祈祷の巻数を贈って来たことに対する、直義の感謝の気持ちを伝えた雑掌の奉書。この貞和四年正月二日には、征西将軍<せいせいしょうぐん>懐良親王が薩摩国谷山から肥後国葦北を経て宇土津に到着した。かれを出迎えたのは、惟時女婿といわれる恵良惟澄であったが、懐良は十四日に御船で惟時とも参会しており、その期待の大きさは南北両勢力ともに同じであった。畿内では、幕府軍が一月五日の四条畷の戦いで楠木正行を敗死させ、さらに吉野への攻勢をかける直前のことであるが、九州南朝の肥大化を恐れる直義が阿蘇氏および阿蘇社への期待を表明したものであろう。祈祷巻数<かんず>の送付は、激しい誘引工作の渦中で惟時が形だけにしろ幕府側にも意志があることを表明したことなる。だが、祈祷要請からすでに半年を経過しており、こうした間をとった形の惟時の対応こそが、当時の政治的立場と戦略を示している。(柳田)