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元弘三年(1333)十月三日
後醍醐天皇綸旨 刊本76号
後醍醐天皇が、大宮司惟直に対し、豊後国大佐井および筑前国下座郡地頭職を一族で支配することを認めた綸旨。奉者は蔵人<くろうど>中御門宣明である。本状は、年紀や宛所を記すという後醍醐天皇綸旨の特徴が見られる。地頭職の安堵というので綸旨に永続的な効力を持たせようとしたのであろう。大佐井郷の地頭職は、六波羅評定衆と推定される亀谷氏が有していたが、惟時の子息惟成に与えられ、下座郡は一族十余人に配分された(正平十一年六月「恵良惟澄申状案」刊本152号)。元弘三年十二月に光永又四郎や瀬田弥九郎への配分記録がある(「宇治惟時配分状写」写第10)。その後、正平四年(1349)七月十八日、惟時に対して味方についたので大佐井および下座郡を安堵している(「相模守行時書状写」写第16)。大佐井の領知権は不安定であったが、下座郡の場合は、明徳三年(1392)十二月十八日「筑前下座郡納帳目録」(刊本206号)および「筑前下座郡内除名分目録」(刊本207号)が残っている。(柳田)